| きささげの木 | 小野古墳 | 小野城あと | 野口弥太郎 邸 | 宗方神社 |
「きささげの木」

小野小学校の運動場には,「諫早市の名木百選」に選ばれたキササゲの大木があります。中国原産の落葉高木で別名「あずさ」とも言われます。ささげの形に似た長さ30センチメートルにもなる実をつけ,中の種は腎臓病の薬とされています。
このキササゲは,宮崎康平氏の作詞による校歌にも歌われ,樹齢80〜90年,樹高15メートル,幹周り3メートルもある大木です。昭和8年に松崎留男先生が久留米の植木屋より購入され,旧校舎の玄関に植えられたそうです。
今日も,このキササゲの木は,小野っ子たちを優しく見守っています。
「小野古墳」

小学校の中庭には,古墳があります。古墳時代後期(1500年前)の横穴式古墳で,この地方を治めていた豪族の墓です。
昭和50年4月15日,学校上の畑の造成中に発見されました。84センチメートルもある鉄剣や刀子・ガラス玉などの副葬品が出土しました。また,この近くからは,石のやじり・石おの・つぼ・かめなどもたくさん出土しました。
これらの出土品は,小学校玄関の陳列ケースにおさめられています。
「小野城あと」

小野小学校うえに,こんもりとしげった森があります。ここが戦国時代にきずかれた小野城あとです。
戦国時代には,高城に本丸をかまえ,本明川をへだてて,正林城を築いて,二の丸としました。そのほか,有喜・真崎・戸石・古田・大渡野・仲沖・小野などに支城を築いて,隣国にそなえました。
とりわけ,小野城は,島原のおさえとして,大事なところでしたので,西郷純堯の長男信尚という人が,この城を守っていました。
ところが,豊臣秀吉の命令に従わなかったので,西郷氏はほろび,そのとき,この城も焼かれてしまったということです。
この付近には,馬場・館などの地名がのこっていますが,そのころのなごりです。いまも,城あとには,から堀のあとがあります。

弥太郎の父弥三は,諫早市小野出身で東大を出て,のちに第一銀行常務取締役となった銀行家です。
弥太郎は,明治32年10月6日長男として東京に生まれ,父弥三の姉イチの夫木下吉之丞につれられ,小野小学校に転校してきたのが明治44年7月6日(6年生)のことでした。翌45年1月1日神戸市に転校しました。わずか半年でしたが,ふるさとの田園生活を楽しむことができました。
戦後は,よく長崎・諫早にもでかけ,多くの作品を描いています。その間旧友などと語り明かし,昭和43年には諫早市体育館のどん帳製作,昭和47年には,諫早市民センターのロビーに壁画を製作しました。同年紺綬褒章を受賞,同年「那智の滝」で芸術選奨文部大臣賞を受賞,昭和49年日本芸術院会員となり,続いて昭和50年勲三等瑞宝章を授与されました。
野口家は小野小学校のとなりに白壁の土蔵のある家です。
「宗方神社」

小野小学校のとなりには宗方神社があります。祭神は,天御中主命・大己貴命・少彦名命という三人の神さまを祀ってあります。
三代実録によれば,「貞観12年(870年)4月3日 己寅肥前国 宗形天神に従五位下を授ける。…」,「貞観15年(873年)9月16日 肥前国 従五位下宗方天神に従五位上を授ける。…」とあります。これにより位の高い古い神社であったことがわかります。
明治5年(1872年)村社になりました。明治21年には拝殿が再建,明治40年7月には,今のご神体がつくられたとのことです。