長崎街道探訪(久山旧茶屋〜貝津)

・長崎街道は,小倉から長崎まで続いた,長さ57里(約223.8km)の街道です。長崎街道の永昌宿と矢上宿の間に真津山小学校校区は位置しており,校区内にも歴史的に貴重な史跡が数多く残っています。そこで,子どもたちに少しでも校区内の歴史に興味を持ってもらいたいと思い,このコーナーを作りました。

*主に,真津山史話(諫早教育委員会発行)を参考にしています。




長崎街道(真津山周辺)の地図です。@「久山旧茶屋」からL「藩境の石塚」まで番号を振り,位置が分かるようにしています。(真津山史話の中の地図を利用しています。)
(拡大して見てください)

@久山旧茶屋

(a)上の茶屋

・石囲いの立派な井戸で,往来する武士や文人墨客(ぶんじんぼつかく)が飲用した
と伝わっています。純茶店で,名物は,饂飩(うどん),蕎麦(そば)だったそうです。

(b)下の茶屋

・下の茶屋は旅館兼「お茶屋」で,篭立場として殿様が休憩した場所です。
先年まで立派な生垣と築山があったそうですが,今は俤がありません。
(下の茶屋があった付近の写真です。)

A新茶屋

・旧茶屋より県道田結久山線を北へ進み,山口橋の袂から右に折れて少し行くと新茶。
茶屋という地名であったが,茶屋があった形跡はないそうです。
旧茶屋と新茶屋の間には,堤けんじさん(タヌキ絵画家)の下書きに,
子どもたちが色づけをしたタヌキ絵があります。是非1度ご覧下さい。

B赤松坂

・薄暗い荒れた坂道で,一部では「苔の道」とも言われています。
旧街道の面影を残す所で,登りつめた所に一本松(赤松)が
あったことからこの名が出たということです。

C篭立場付近

・この街道の両側の地名は,北茶屋と南茶屋といいます。
・「貝津の篭立場」はこの辺りにあり,
酒屋なども点在し,街道らしい雰囲気があったところです。

D貝津茶屋

・この茶屋は,殿様の休憩所でもあったところです。焼き餅が名物でした。

E茶屋橋

・どろどろ坂(上Dの写真の坂)を下った所にあります。

F馬の水

・殿様行列の馬や駕篭丁(かごかき)が一息入れた所です。昭和35年頃までは,飲まれていました。

G道祖元(さやんごぜん)

・旅人の行路安全を祈って「道祖神」が祀られています。
・「佐賀の乱」に絡み,密偵の疑いを受けた「伊東鼎(てい)乃助」が斬殺された所です。

H永昌宿と永昌代官所跡

・永昌宿

・長崎街道と諫早街道(佐嘉道)の分岐点で,
 諫早の宿場があったところです。
 和蘭商館長やシーボルトも,江戸参勤のとき
 この地のお寺などに宿泊しました。

・永昌代官所跡

・佐嘉本藩直轄で,本藩のお目付役として
 領内の監視と,蔵入地の支配が任務でした。

I岩茶屋

・「心太(ところてん)」を冷やしたという古井戸が残っています。
 真ん中の石は,『勝海舟休憩の石』との言い伝えがあります。

J「大村街道説明板」からL「藩境の石塚」は,佐賀藩と大村藩の藩境(風観岳)にあります。(前任校で作成し,しばらくHPに掲載していたものです)

J大村街道説明板
K大渡野番所跡
L藩境の石塚