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小野小のシンボルONO SYMBOL

大講堂

昭和4年天皇の即位式をお祝いし、新築落成しました。それから昭和51年8月に解体されるまで、
小野地区のセンターとして運動場側に建っていました。皆様に愛されてきた木造の大講堂です。


キササゲの木
        キササゲの花                キササゲの木
 小野小学校の運動場には、「諫早市の名木百選」に選ばれたキササゲの大木があります。中国原産の落葉高木で別名「あずさ」とも言われます。ささげの形に似た長さ30センチメートルにもなる実をつけ、中の種は腎臓病の薬とされています。このキササゲは、宮崎康平氏 の作詞による校歌にも歌われ、樹齢80〜90年、樹高15メートル、幹周り3メートルもある大木です。昭和8年に松崎留男先生が久留米の植木屋より購入され、旧校舎の玄関に植えられたそうです。
 2012年、樹木医今村さんが小野小学校のきささげをDNA鑑定により調査研究されました。本校のキササゲのルーツは、新島襄(同志社大創設 者)が、明治13年に熊本市の教え子に送った種から育ったきささげの子孫です。新島襄の二世木であることがはっきり鑑定され、新聞に 掲載されました。今日も、このキササゲの木は、「師弟の木」として小野っ子たちを優しく見守っています。


小野古墳
 小学校の中庭には、古墳があります。古墳時代後期(1500年前)の横穴式古墳で、この地方を治めていた豪族の墓です。昭和50年4月15日、学校上の畑の造成中に発見されました。84センチメートルもある鉄剣や刀子・ガラス玉などの副葬品が出土しました。また、この近くからは、石のやじり・石おの・つぼ・かめなどもたくさん出土しました。
 これらの出土品は、小学校会議室の陳列ケースにおさめられています。
  

小野城あと
 小野小学校うえに、こんもりとしげった森があります。ここが戦国時代にきずかれた小野城あとです。戦国時代には、高城に本丸をかまえ、本明川をへだてて、正林城を築いて、二の丸としました。そのほか、有喜・真崎・戸石・古田・大渡  野・仲沖・小野などに支城を築いて、隣国にそなえました。とりわけ、小野城は、島原のおさえとして、大事なところでしたので、西郷純堯の長男信尚という人が、この城を守っていました。
 ところが、豊臣秀吉の命令に従わなかったので、西郷氏はほろび、そのとき、この城も焼かれてしまったということです。この付近には、馬場・館などの地名がのこっていますが、そのころのなごりです。いまも、城あとには、から堀のあとがあります。

画伯 野口弥太郎 邸
 弥太郎の父弥三は、諫早市小野出身で東大を出て、のちに第一銀行常務取締役となった銀行家です。
 弥太郎は、明治32年10月6日 長男として東京に生まれ、父弥三の姉イチの夫木下吉之丞につれられ、小野小学校に転校してきたのが 明治44年7月6日(6年生)のことでした。翌45年1月1日神戸市に転校しました。わずか半年でしたが、ふるさとの田園生活を楽しむことができました。
 戦後は、よく長崎・諫早にもでかけ、多くの作品を描いています。その間旧友などと語り明かし、昭和43年には諫早市体育館のどん帳製作、
昭和47年には、諫早市民センターのロビーに壁画を製作しました。同年紺綬褒章を受賞、同年「那智の滝」で芸術選奨文部大臣賞 を受賞、昭和49年日本芸術院会員となり、続いて昭和50年勲三等瑞宝章を授与されました。
 野口家は小野小学校のとなりに白壁の土蔵のある家です。

宗方神社
 小野小学校のとなりには宗方神社があります。祭神は、天御中主命・大己貴命・少彦名命という三人の神さまを祀ってあります。三代実録によれば、「貞観12年(870年)4月3日 己寅肥前国 宗形天神に従五位下を授ける。…」、「貞観15年(873年)9月16日  肥前国 従五位下宗方天神に従五位上を授ける。…」とあります。これにより位の高い古い神社であったことがわかります。明治5年(1872年)村社になりました。明治21年には拝殿が再建、明治40年7月には、今のご神体がつくられたとのことです。
   



information

諫早市立小野小学校

〒854-0035
長崎県諫早市宗方町365番地
TEL.0957-22-0497
FAX.0957-22-0546